もしも逃げてしまえば

推しを求めて三千里の途中です

懺悔したいはなし

まず始めに、前回のエントリにたくさんのスターをありがとうございました。まさかあんなに読んでいただけるとは思っておらずめちゃくちゃ驚いています。中には読者登録していただいた方までいらして…!恐縮です。ほんとうに。正直なところ隙間時間でちょちょいっと書き上げたものだったので、テレビでいきなりインタビューをお願いされて「やだまあ化粧してないじゃないの!もー!」って言うお母さんたちの気持ちがわかった気がします(?)

壁打ちのつもりで始めたブログですが、読んでいただけるとやっぱり嬉しいものですね。これからも壁打ちスタイルは変わりませんが、マイペースに頑張りたいなと思いました。その中でほんの少しでも良いなとか、共感していただけるところがあればこれ幸い。

 

 

さて、今回はSくんのお話です。

 

Sくんはバンドマンでした。でした、というのはそれがもう過去の話だからで、彼はまた音楽をやりたい、絶対に続けると言い残してステージを降りたものの、それがまたバンドという形になるのか、はたまた全く別のものになるのかわからないとも言っていた。*1わたしはなんとなく、そうは言ったもののSくんは戻って来ないんじゃないか、仮に戻って来たとしても絶対にバンドという形ではないだろうと思いつつ、ステージを降りた彼に対して勝手に今生の別れをした気になって見送った。そう、だからSくんはきっと、もう二度と「バンドマン」なんてれっきとした職業と呼べるかどうかもわからない不安定な括りをされることもないだろうって。多分だけど。


バンドマンというのは、そのほとんどが素人から始まったものだとわたしは捉えている。大体がモテたいからだとか文化祭やらで目立ちたいからだとか、そういう青い初期衝動から始まったもので*2、それがやがてバンド本来の面白さに気付いて、続けて行くのではないかって。文化祭の体育館のステージから、地元のちっさなライブハウスのステージへと場所を移し、そのうち箱の店長やイベンターや対バン相手の力を借りつつ、別の箱、別の土地へと少しずつライブ活動の幅を広げて行く。そしてその過程のどこかで事務所やらレコード会社やらに見つけてもらって、晴れてプロになれる。大抵のバンドマンの辿る道は、だいたいこんな感じじゃなかろうか。
初期の頃は、地道に自分たちの力だけですべての活動*3をこなすことになる。だけど、事務所やレコード会社に所属して少しずつ協力してくれる人たちが増えても、言ってしまえばメジャーデビューしたって、バンドマン自らが物販に立っているのは決して珍しいことではない。まあそんな感じなので、バンド自体の知名度が高くなったとしても、本人たち的にはやることは変わっていないことになる。そうすると何が起こるかというと、バンドが大きくなったって、バンドマン本人の感覚がいつまでも一般人なままなのだ。
例えば。その日は旧知の仲であるバンドとの対バンだった。ライブは大成功、打ち上げはいつものあのお店へ行くと、そこには「まああのお店だろう」と勘繰って先回りしていたファンが既にいた。そのファンと離れた席でひとしきり騒いだ後、じゃあそろそろ解散しようかと、最後に店の看板の前で集合写真を撮り、SNSにアップする。そうすればますますそのお店の認知度が上がり次回にはもっとたくさんのファンがその店につめかけるようになる。ついでにその場で聞き耳を立てていたファンも「ナントカさんがこんなこと言ってた!」とタレコミ(と言えるのか?)を投稿し、それが広まることもある。
例えば。バンドマンが髪を切り、「この人すごく腕良いからみんなも是非行ってみて!」と、美容院とご丁寧に担当美容師の名前まで添えてツイートされる。そんなに勧めるなら行ってみるかと足を運べば、そのバンドマンの担当美容師に「あの人のファンなんですか!この前も彼女さんと一緒に来てましたよ!」と言われる。
こんな感じで、バンドマン本人(場合によってはその周りの人間も)の感覚はまるで一般人と変わらない。こういったことは決して珍しい話ではないし、その程度ではいちいち炎上したりしない。日常茶飯事だから。ステージの上では完璧な演奏を届けてくれるけれど、バンドマン本人には、自分自身も商品であるという意識がまるでないように感じる。確かに商品価値があるのはバンドマンではなくバンドの音楽かもしれない、しかし、人の前に立っている時点でバンドマンも商品であることになってしまうのだから、頼む、自覚してくれよ…!とわたしは常々思うのです。

 

わたしはSくんのTOでした。Sくんの在籍していたバンドは東京を活動拠点としつつも1ヶ月のライブ予定のだいたい半分くらいが遠征で、全国各地を飛び回る所謂ライブバンド。その中でわたしは約6割、東名阪だけに限れば9割くらい参戦していて。そこまで熱心に追いかけていたのは本当に片手で足りる程度だったから、Sくんだけでなくバンドメンバーや現場スタッフ全員に認知されていて、全員に「いつもありがとう」と言われていた。

わたしは普段は週5勤務固定休の社会人、しかしライブは土日平日関係なく全国各地で行われています。本来ならこれだけ参戦するのは不可能でしょう。しかしわたしは使えるものすべてを使いそれを可能にしてきました。例えば、平日定時で仕事を終えて駅までガンダッシュ、新幹線に飛び乗り、東京やら大阪やらへ着き、ライブを思いっきり楽しんだのち、今度は夜行バスへ飛び乗って、翌朝何事もなかったかのように通常通り出勤。いわゆるエクストリームというやつです。会社の人は、まさか「お先失礼します〜」と行って退社していたあの子がこれから東京へ行くなんて思ってないだろうし、「おはようございまーす」といつも通り出社したあの子が昨夜大阪にいたなんて気付いてもいなかったでしょう。もちろんたまには有給も使いましたが、それはあくまでも最後の手段。

Sくんやメンバーにはこんなことおおっぴらに言ったことはないけれど、全国各地どこへ行ったって大抵最前のいつもの位置にいるから、なんとなくわかってはいたと思う。Sくんの目の前、その定位置にいつもわたしがいることを、ある時Sくんは「安心感がある」と言ってくれました。TOとして最高の褒め言葉だし、最高のご褒美だった。それから、ずっと同じ場所にいることに対して少なからず罪悪感もあったので、ここにいていいんだ!と救われた気になった。とても嬉しくて、今でもその言葉は宝物みたいに思い出の中で輝き続けている。だけど逆に、「大丈夫なの?」って言われたこともあった。バンドにとってすごく大きなツアーが決まり、仲良しバンドと対バンのあの公演も思い出の箱であるこの公演ももちろん地元もファイナルも楽しみ!と、始まってもいないのに胸を高鳴らせ話し込んでいたわたしを遮りつつ、少し遠慮がちに言われたのをよく覚えている。「立場上あんまり強く言えないけど…大丈夫なの?」と。「大丈夫!ライブ以外は働いてるから!」と笑って答え、こんなこと心配してくれるSくん優しい〜大好き〜〜なんて軽く考えてしまったけれど、今振り返って考えれば、ここでやめておけばよかったと後悔するほかない。

 

Sくんはバンドマンでした。お兄さんに影響されてギターを始め、高校では軽音部に所属。Sくんの代は後にたくさんのスターを輩出することとなり、“◯◯高校の軽音部”といえばライブハウスではちょっと知られた存在の、バンド界隈の名門校だった。卒業後はギターを学べる専門学校へと進み、いくつかのバンドやユニットを転々とし、最終的に辿り着いたのが今回脱退したバンド。Sくんはギターと音楽、そしてそのバンドのことが大好きでした。きっと、Sくんのこと知らない人でも、一度ライブを見てもらえれば伝わったと思う。この人は本当にギターと音楽とこのバンドのことが大好きなんだって。だけどSくんはバンドを脱退する決意をした。あんなに大好きなバンドなのに。脱退を発表した時、Sくんは「理由はあるけど上手く言葉に出来ないし、してはいけないとも思っている。そんなことよりこのバンドのことを良くする為の努力を、残りの時間でして行きたい。僕がいなくなって駄目になったなんて言われたくないし、絶対に言わせない。」と力強く話していた。その言葉にはバンドへの愛がこれでもかというほどに詰まっていて、わたしはただただ頷いて、Sくんとバンドのことを信じるほか無かった。やがてSくんはバンドを去り、ステージを降りて行きました。

 

だけど、今になって思うのは、もしかしたらSくんは、怖くなってしまったんじゃないかということ。

Sくんは最後まで、具体的な脱退理由を述べなかった。言葉に出来ない、という言い分もきっと間違ってはいないとは思う。だけど、その言葉に出来ない感情の中に、もしかしたら恐怖があったのかもしれない。何に対する恐怖なのか。恐らく、わたしに対する恐怖です。

Sくんは優しかった。わたしはSくんが大好きだったし、それは本人にも伝わっていたと思う。だからその優しさで「大丈夫なの?」って訊いてくれたんだと思っていた。そしてSくんはバンドマンだった。世界でいちばん格好良いギターを弾ける以外はただただ普通の一般人とまったく同じ、一般的な感覚を持ったありふれた優しいバンドマンだった。

もしかして、もしかしたら、Sくんはわたしのことを、有難いと思うと同時に、むしろそれ以上に危惧していたんじゃないかって。「自分がここにいる以上、この子はきっと応援してくれる。だけど、それはもしかしたらこの子自身に無理を強いることになってしまうんじゃないか。本人は大丈夫だと言うけれど、夢中になって気付いていないだけで、きっと現時点でもかなりの負担があるだろうに…」 といった具合に。自惚れかもしれない。むしろ自惚れだと思っていたい。大丈夫かと訊いたのも、単なる営業の一種だったのかもしれない。だけど、ただの一般人(ではないのだけれど)でしかなかったSくんにとっては、「自分のせいで」という思いも多少なりともあったかもしれない。優しいバンドマンだったSくんのことを思い出したとき、どうしても、そんな考えに辿り着いてしまった。

 

Sくんは最後まで明確な脱退理由を言わなかった。言葉に出来ないというのもきっと嘘ではないと思うし、理由はきっとひとつじゃなかった。だけど、その中のほんの僅かだとしても、わたしのことが引っ掛かってしまっていたのであれば…と考えずにはいられない。思い過ごしだったとしても。

もしも今後Sくんが表舞台に戻ることがあれば、Sくんの精神的負担にならない程度に、だけれども尽くせる限りの全力で、また応援できたらと思っています。今度は「大丈夫なの?」なんて言われないように。Sくんの弾く世界一格好良いギターと、Sくんの創る愛に溢れた音楽と、何よりSくん自身が大好きだって、まっすぐに伝えられますように。

 

 

 

*1:バンド在籍時2人で話している時、話の流れで「アイドルのプロデュースとか、そうじゃなくても楽曲提供とかしてみたいんだよね」と言っていたことがあって、わたしはそれがものすごく似合うことのように感じたから、もし戻ってくるならそれが実現するといいなと思っている。

*2:そうじゃない人ももちろんたくさんいる。

*3:楽曲制作・リハーサルなどはもちろんのこと、スケジュール管理や遠征先の宿の手配、物販の考案から実際の販売に至るまで、その他バンドに関する諸々すべて